神社に行った話-04 佐助稲荷神社
神奈川県にある鎌倉駅から徒歩約20分、坂道を登ったところにある鎌倉最強の出世開運スポット「佐助稲荷神社」
佐助稲荷神社は、源頼朝を歴史的快挙に導いたという伝説から、 別名「出世稲荷」と呼ばれ信仰を集めています。
神社の歴史
源 頼朝は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将、政治家であり、鎌倉幕府の初代征夷大将軍です。 河内源氏の源義朝の三男として生まれました(1147年)。父・義朝が平治の乱で敗れると伊豆、蛭ヶ小島へ流され、後に北条政子と結婚。そこで頼朝が病気に臥せっていた際に「かくれ里の稲荷」と名乗る翁が夢枕に立ち平家挙兵を促しました。そして頼朝は1180年8月に北条氏など東部の武士と協力し平家打倒の挙兵に踏み切ります。その後紆余曲折はありましたが、1185年弟の範頼、義経らに命じ「壇之浦の戦い」で平家を滅ぼしました。源頼朝は後の1192年に幕府を開き北条時政らの縁者や大江広元などの京都出身者を側近にし、幕府を運営しました。また、頼朝の御家人となった全国の武士によって幕府は支えられましたが、特に東国御家人たちの頼朝に対する信頼は厚いものでした。 頼朝は幕府の本拠地を鎌倉に定め,彼自身ほとんどその地を出ることはありませんでした。
社伝によると建久年間、初代鎌倉幕府将軍・源頼朝が畠山重忠に命じて「かくれ里の祠」を探し当て稲荷神社を再建させたと伝えられています。(建久1190~1199)頼朝は若い時、兵衛佐であったので佐殿と言われており、その佐殿を助けた神と言うことで佐助稲荷と言われています。佐助稲荷神社は頼朝が旗揚げの後征夷大将軍までのぼりつめたことから、別名「出世稲荷」と呼ばれ信仰を集めています。
当時、開山良忠上人は佐介ヶ谷に住まわれていました。ある時、子供に虐められていた子狐を助けました。すると夢に親狐が現れ、悪病が流行る事を告げ、子狐を助けたお礼と共に薬種袋を残していったという事です。翌朝枕元に薬の元である種子があり、上人はお告げに従って種子を蒔くと3日の内に成長し、この薬草で多くの人の病を治しあがめられました。これは佐助稲荷のご利益だと考え、以来佐助稲荷に参詣するのが良いと人々に教えました。このことから、佐助稲荷では一対の白狐を供えて願を掛けるようになったのです。(引用:佐助稲荷神社HP)
御祭神
宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)穀物を司る神様
大己貴命(おおなむちのみこと)国造りの神様
佐田彦命(さるたひこのみこと)先導の神様(導きの神様)
大宮女命(おおみやひめのみこと)きれいな言葉で他人との間を仲良く保つ神様
事代主命(ことしろぬしのみこと)大国主命の子神。
佐助稲荷神社は、自然の中にありまさに「かくれ里」そのものであり、心を落ち着かせて参拝できる神社です。
この神社は「エルフェンリート」の聖地でもあり、作品のファンもちらほらと参拝している様子があったりなかったり・・・・
こんなシーンだった気がする・・・・
自然の中に連なる赤い鳥居は、幻想的であり、奥へ進むたびにどこか違う世界に行くような感覚になります。周りはとても静かで、コツコツと鳴り響く足音がより非現実な世界へと導くようなきがしたりしなかったり・・・・
御朱印は書置きでした(300円)
個人的に「佐助稲荷神社」は今まで参拝した神社の中で一番好きな場所だったりします。鎌倉に来たら絶対に参拝しています。
神社までは結構な坂道だったり、階段だったりするので、スニーカーを履いていくことをお勧めします。境内も苔が生えていたり足元が滑りやすくなっているので、、、
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